ヨガ哲学を勉強するようになってから、それが他の宗教哲学と似た部分が多くあることを感じ、他の宗教哲学についても調べるようになりました。

今回は日本テーラワーダ仏教協会さんの根本仏教教義というページに書いてあった心の法則について一つ。
※瞑想法と共に書かれていますが、そこは割愛させて頂きます。わかりやすく少しアレンジを加えさせてもらっています。
私は敬虔な仏教信者ではありませんが、この法話集はとてもわかりやすく、宗教に重きをおかない人にも、人生を生きやすくするヒントがたくさん書かれています。
人間とはもともと怠惰な生き物
どんな時も、これはいいことだからやらなければならないと思っても、辛いことは先のばしにして、いつもぬるま湯に浸つかっていようとするのが人の本来の性質。
例えば、
女性は肥満を嫌います。
もちろん肥満になったのは自分の生活習慣や食事のせい。
その肥満を解消するのは簡単なことですよね。
毎日の運動とカロリーコントロール。
実行すれば、すぐにスマートな美しいプロポーションに戻れるのですが、多くの人々はそれをやりません。
理由は、ただ単につらいから。
太る原因となる”食べ過ぎ”
“食べること”は快楽のため積極的になります。
しかし、運動や減食は苦痛なので、積極的にやろうとしません。
その代わり、効果のわからないサプリメントや民間療法、○○だけダイエットなどにしがみついて、結局はからだを壊してしまいます。
つまり、人は苦痛を避けるために、お金の力で辛い運動をするという苦痛から解消されたいと願うのです。
心もそれとおなじようなものです。
心を清らかにするためには、まず自分の心の有りようを変えなければすべては始まりません。
その心を変えることを、人は嫌がり、激しく抵抗するのです。
運動せずに痩せたいという理屈とおなじで、心は変化させずいまの状態のままで一時的な心の平穏を作りたいと願うのです。
いまの心のまま、世界を見れば、社会ではいろいろな競争、精神は病み、何とか自分だけは幸福になりたいなど、さまざまに願望がひしめいています。
そして様々な宗教や教えにすがります。
心がいつも安らいでいれば人間はいつも幸福感、充実感で満たされます。
ところが、そううまく行かないのがまた心の厄介なところです。
自分の心を根本的に変化させなければ、永劫の清らかさは得ることができません。
一時的な安らかさは得られても、すぐまた違うかたちの苦しみに責めたてられるのが人の心の難しさなのです。
しかも、人はいまの自分の心というものを変化させることに恐怖に近い感情があるという困った存在なのです。
人はこの世界を生きるのに、ただ何かに頼り、そのことをありがたがるだけの、いつもいい加減ではっきりしない弱い心で満足するような存在であってはならないのです。
弱い心をまっすぐに強固にする訓練をコツコツとしていかなければ生まれてきた意味がないのです。
「心とは、一体なんなのか?」
それを知りたくて、私は哲学を勉強しています。

☆本編はもっと長文で仏教の瞑想と共に書かれています。日本人は仏教徒の方も多いので、わかる方もいらっしゃると思いますが、私は宗教そのものではなく哲学に興味があるため、書いてません。その辺りは下記のサイトに詳しく書いてあります。
興味のある方は読んでみてください⬇️
根本仏教講義