今回は、「無常」について
「祇園精舎の鐘の声」にはじまる平家物語などにあるように、仏教的無常観は日本人の美意識の一つ。
仏教の根本的な考え方であるとされています。
「無常」とは”常では無い”こと

この無常感に、心を軽くする、穏やかにするヒントがたくさんありました。
徒然草に「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」という言葉があります。
この世の全ての出来事はこれにあたります。
人、モノ、自然、全て
状態を変えずに留めておくことは不可能です。
しかし、人は多くの場面で
常を望み、それが叶わない事に苦しみます。
これを書いている私自身、
大切な愛犬たちは私より必ず先に旅立ちます。
それを目の当たりにした時、無常と思い心穏やかに過ごせるのか…甚だ疑問を感じるのも事実です。
無常には逆らえないことを知る
私たちは、常日頃
無常に逆らおうと抗っています。
わかりやすく例えると、
歳をとっても若い頃のようにスタイルが良く、肌がきれいで、体力があり、健康でありたい。
しかし、どんなに頑張っても、年齢は増し、体力は衰えます。
そして必ず死はやって来ます。
命は無常であること。
完全ではなくても、この真理を少し受け入れることができた時、
短い人生のなかで、不平、不満、嫉妬、妬み、悲しみなどを持ったりする事が損だということがわかります。

無常を理解するには?
自分が今やっている行為に”気づく”ことを意識してみてください。
歩いているとき、私は今歩いている…
立っているとき、私は今立っている…
瞬間の行為に気づくこと。
この気づきをつづけていくうちに、無常が何かを理解できるのだそうです。
例えば、
何か嫌なことがあって怒った時
そこで自分が「今怒っている」と気づきます。
そうすると怒りがスッと消えます。
他の感情も同じ。
表れては消え、また他が表れる。
自分の感情ですら、無常であることがわかるとその他全ても常であるはずは無いと思うことができます。
“今”にフォーカスする。
過去にも、未来にも囚われる必要がないことを無常は教えてくれます。
変えられないことに悩み、先を憂い不安になる。
こんな時だからこそ、心を平穏に軽やかに。
心を正しく理解して、コントロールする。
カラダは馬車、ココロはそれに繋がれた野生の馬だと、ヨガスートラには書いてあります。
本来の自我は馬車の乗客。
むき出しの心のまま、コントロールをせずに馬車を走らせたら、乗客の安全はままなりません。
それをコントロールして安全に人生という旅を楽しむために、ヨガや瞑想、哲学はあるのだと思います。