我想とは、いわば、見る者【プルシャ】の力と見る器官【身心】の力との一視である。

ヨガスートラでは、我想(エゴイズム)についてこのように説いています。
わかりにくい表現ですが、簡単に言うと
身体、心、行為における“私”という意識
行為により確認される“私”という感覚
このスートラでパタンジャリは我想【エゴイズム】について説明しています。
自我【エゴ】は、真の自己が心の上に映ったものである。
“私は○○だ”という意識である自我と
本来の自分である自己は
一見同じもののように見えます。
しかし、一方はオリジナルでもう一つは反射です。
無知が取り除かれるまでは、
自我はいつも【自己】を詐称します。
ヨガの修練のすべては、
2つの私を完全に分けて理解すること。
私たちを、限定して小さくしてしまっているものは何でしょうか?
本来の自分は偉大で不変なもの。
外の世界のものは何一つ、本来の自分を巻き込むことはできないはずです。
私たちの人生において、あらゆる困難や面倒な事はこの一点を理解できれば、取り除かれます。
ただ、そうなるための準備にたくさんの時間がかかります。

困難な事、悩みにぶつかった時、
本来の自分は、常に高いところから見ている状態でいられるように
呼吸を整えて、身体を快適に保つ。
心が乱れた時にこそ、ヨガをして本来の自分を取り戻しましょう。