我想(エゴイズム) ヨガにおける5つの障害②

我想とは、いわば、見る者【プルシャ】の力と見る器官【身心】の力との一視である。

ヨガスートラでは、我想(エゴイズム)についてこのように説いています。

わかりにくい表現ですが、簡単に言うと

身体、心、行為における“私”という意識

行為により確認される“私”という感覚

このスートラでパタンジャリは我想【エゴイズム】について説明しています。

自我【エゴ】は、真の自己が心の上に映ったものである。

“私は○○だ”という意識である自我と

本来の自分である自己は

一見同じもののように見えます。

しかし、一方はオリジナルでもう一つは反射です。

無知が取り除かれるまでは、

自我はいつも【自己】を詐称します。

ヨガの修練のすべては、

2つの私を完全に分けて理解すること。

私たちを、限定して小さくしてしまっているものは何でしょうか?

本来の自分は偉大で不変なもの。

外の世界のものは何一つ、本来の自分を巻き込むことはできないはずです。

私たちの人生において、あらゆる困難や面倒な事はこの一点を理解できれば、取り除かれます。

ただ、そうなるための準備にたくさんの時間がかかります。

困難な事、悩みにぶつかった時、

本来の自分は、常に高いところから見ている状態でいられるように

呼吸を整えて、身体を快適に保つ。

心が乱れた時にこそ、ヨガをして本来の自分を取り戻しましょう。

カテゴリー 煩悩yoga呼吸哲学仏教タグ

コメントを残す

search previous next tag category expand menu location phone mail time cart zoom edit close